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福岡高等裁判所 昭和51年(う)520号 判決

被告人 脇坂正

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮六月に処する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人丸山一夫提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

右控訴趣意第一点(法令適用の誤り)について。

所論は要するに、原判決は、大型貨物自動車を運転し原判示の如く交差点を左折進行中に、歩行者の通過を待つために横断歩道の手前で一時停止した被告人に対し、右通過後再び自車を発進進行する場合には助手席に移動する等して、自車の死角圏内を含めて四囲の安全を確認したうえ発進すべき業務上の注意義務がある旨判示するが、右は誤りであつて、被告人にはかかる注意義務は存しない。すなわち

(1)  まず原判決は、死角圏内の安全を確認する具体的方法として「助手席に移動すること」を要求するのであるが、右は本件大型貨物自動車の運転台の構造上相当に困難であるばかりでなく、誤つて車を発進させる虞れもあつて危険であるから、かかる行為を運転者に要求することは相当でなく、その他死角圏内の安全を確認する方法として運転席から下車して自車の周囲を廻ることも考えられるが、これは後続車の渋滞等を招来するので現実的にはたやすく実行できないことである。

(2)  そうしてみると、盲人の横断とか幼児の飛び出しなど危険が予見されるが如き特別な状況の場合は別として、そのようなことが予見されない場合をも含め一般的に、大型貨物自動車の運転者に対して自車の死角圏内の安全までを確認すべき注意義務を課することは、交通の実情等に照らして苛酷に過ぎ相当でないものというべきである。

(3)  しかして、本件においては危険が予見される特別の状況は存しなかつたのであるから、原判示の如き死角圏内の安全を確認すべき注意義務はなく、被告人の注意義務としては運転席から肉眼及びバツクミラー等で現認可能な範囲内の安全を確認しながら、危険を感じた場合に直ちに停止できるような速度及び方法で低速進行することで尽きていたものというべきである。

従つて、被告人に対して実行不可能な注意義務を課し、その懈怠を理由に義務上過失傷害罪の成立を肯認した原判決は、注意義務の構成を誤つたものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れないというのである。

しかし、原判決の認定する関係状況を前提とする限り、被告人が自車の死角圏内を含めて四囲の安全を確認すべき業務上の注意義務を負つていたことは否定できず、右の死角圏内の安全確認の方法として「助手席に移動すること」を例示したことにも誤りは認められない。すなわち、

まず所論にかんがみ、本件大型貨物自動車の運転者に対し、助手席に移動することを要求することの当否につき検討するに、関係証拠を精査しても、右の移動が困難にしてこれを要求することが不当なものとは認め難く、この点につき当裁判所の検証調書にも明らかな如く、本件大型貨物自動車の運転席(中央)から左側(助手席側)のドアまでは約一・七メートルの距離が存するところ、ハンドルと運転座席との間隔が狭く、運転席と助手席との間にはフロアシフト式のチエンジレバー及びサイドブレーキレバーが突出しているので、運転者から坐つたままで助手席に移動することは必ずしも容易とはいえないが、中腰になれば右移動は比較的容易であることが認められる。したがつて、運転台の構造上運転席から助手席への移動がそれほど困難であるとは認められず、又、その移動に際し誤つて車を発進させる危険があるとも認め難い。尤も、被告人は当審において右の危険を指摘すると共に、かかる安全確認の方法を会社関係者より指示されたことはなかつた旨供述するのであるが、右結論を左右するに足りない。

してみれば、原判決が死角圏内の安全確認の方法として、「助手席に移動すること」を例示したことを以て不当ということはできない。もとより右は例示であつて、運転者がとるべき方法としては、その他にも運転席から下車して必要な安全確認をするとか(右は原審において訴因変更後検察官が主張するところである。)又は休憩中の交替運転手を助手として使用するなどして死角部分を除去する手段も存在する。尤も、助手席への移動や下車などの方法はいずれにせよ当該運転者にとつて運転席を離れる欠点があり、後続車の渋滞等をもたらす虞れがあることも所論指摘のとおりであるから、かかる方法で死角圏内の安全を確認する注意義務が存したかどうかは、なお具体的な関係状況に即してさらに検討すべきものである。

そこで、被告人に右の死角圏内の安全確認義務が存したかどうかを検討するに、原判示挙示の証拠によれば、原判示関係状況がいずれも十分に認められ、これら関係状況を前提とする限り、被告人が一時停止後再発進するに際して、自車の死角圏内にある左側の横断歩道上の安全を確認すべき業務上の注意義務が存したことはたやすく否定できないところである。すなわち

原判決が認定せる関係状況、とりわけ、(イ)本件事故が発生したのは昭和四九年九月二六日の午後六時五〇分頃であり、現場は北九州市門司区内の市街地に存する交通整理の行なわれている交差点及びその西側入口に設置された横断歩道であつて、右横断歩道の通行者も比較的多いこと、(ロ)被告人は右交差点を南方から西方に左折しようとして、信号待ちのため同交差点南詰で一旦停止した際、自車左側の歩道上を南方から北方に向い直進している渡辺秀樹(当時一三歳)運転の自転車を認めたこと、(ハ)被告人はその後間もなく自車の対面信号機が左方向への青色矢印信号を現示するのに従つて左折進行したものであるが、左折方向の自車前面にあたる本件横断歩道上を青色信号に従つて右(北方)から左(南方)に横断してきた歩行者を認めたので、その通過を待つべく同横断歩道の手前で一時停止したこと、(ニ)被告人は右歩行者が自車の前面を通過したので、再び発進進行しようとしたものであるが、被告車は車体の長さ約一一・五四メートル、幅約二・四九メートル、高さ約三・二メートルの大型貨物自動車であつて、運転席からのバツクミラーやアンダーミラーによる自車左側方への視認可能範囲が極めて狭く、右再発進の地点においては本件横断歩道の左半分(南側)は死角圏内に入つて視認不可能な状態であつたこと、これらの関係状況にかんがみると、被告車の左側の横断歩道には渡辺秀樹はもとより他にも青信号に従つて南方から北方に進行する歩行者等が存在することが予想され、しかも、かかる歩行者等においては被告車が横断歩道の手前で一時停止したことから当然自己の通行を認めてくれて被告車の前を通過するまで停止してくれるものと考え、これを信頼して行動することが予測されるのであるから、被告人が自車の左側の横断歩道上の安全を確認したいままで発進することは到底許されないものであり、その死角圏内の安全を確認すべき注意義務を負うことは明らかである。(なお、被告人の当審における供述等のうちには原判示関係状況と相容れない部分も存するが、右供述部分はたやすく措信できない。)

これに対し所論は、原判示の如く助手席に移動したり、下車したりして死角圏内の安全を確認することは、現在の交通事情等にかんがみるとき、現実の問題としては運転者に不可能を強いるものであるし、仮にこれを履践してみてもその後運転席に戻つて発進するまでの間に死角圏内に歩行者等が進入すれば、その者との関係で盲発進となるのであるから結局無意味なことであるというのである。

しかし、原判示の如き方法で死角圏内の安全を確認することが当該運転者にとつて手間のかかることであり、交通渋滞をもたらす虞れも否定できないとしても、かかる難点は横断歩道上の歩行者等の安全確保のためにはやむをえないものであつて(これを除去するためには助手を置くことが望ましいことはいうまでもない。)かかる難点を理由としと運転者に不可能を強いるものということはできない。又、助手席に移動する等して安全を確認してみても発進までの間に新らたに死角圏内に進入する者がいれば、その者との関係で盲発進となることは所論指摘のとおりとしても、少くとも本件における前記関係状況においては、被告人が死角圏内の安全確認を行なうことによつて本件事故を防止することができたのであり、所論の如く右の安全確認後発進するまでの間に新たに死角圏内に進入する者がある場合ではない。もし右の如き状況であれば、それに応じた安全確認を更にすべきものである。いうまでもなく注意義務はそれぞれの関係状況に応じて生起するものであつて、所論の如き状況が考えられる場合がありうるからといつて、本件の場合における被告人の前記注意義務を否定すべき理由はない。

又所論は、本件の前記関係状況においても、被告人には原判示の如き死角圏内の安全までを確認すべき注意義務はなく、再発進に際しては運転席から肉眼及びバツクミラー等で視認可能な範囲内の安全を確認しながら低速進行すれば足りるものであり、被告人は右の限度でその注意義務を十分に尽したものであるというのである。

しかし、被告人に死角圏内の安全を確認する注意義務が存することはすでに説示したとおりである。のみならず、原審取調の証拠を仔細に検討するときは、被告人が所論主張の限度における注意義務を十分に尽したものとは認め難いので、所論はいずれにせよ採用するに由ないものである。(なお右の点につき、原審取調の証拠のうち渡辺秀樹の司法巡査及び司法警察員に対する各供述調書、司法警察員作成の死角実験に関する捜査報告書、実況見分調書二通及び原審の検証調書並びに原審証人児玉裕氏に対する尋問調書によれば、渡辺秀樹は本件横断歩道の南側歩道上で信号待ちをした上青信号に従い自転車に乗つたまま横断歩道に進入しようとし、若干手間取つたものの右横断歩道上を南方から北方にほぼ真直ぐに進行したものと認められ、同人が被告車と接触するまでの間、終始被告車のバツクミラー等の死角圏内だけを進行していたものとは認め難く、換言すれば、被告人が一時停止後発進して左折進行するに際し、左側バツクミラー等により自車の左側の横断歩道上の況状を確実に注視し続けていたものであれば、ほとんど瞬間的にせよ自転車に乗つた渡辺秀樹の姿を発見できたものと認められるのであつて、被告人は右注視を怠り、同人を見落したものと認めるほかないのである。なお、これを否定し、終始バツクミラーで左側の安全を確認していた旨の被告人の供述等はたやすく措信できない。)

以上のとおりなので、原判決が、被告人に対して助手席に移動する等して自車の死角圏内を含めて四囲の安全を確認して発進すべき業務上の注意義務を課したことは相当であり、被告人がこれを怠つたことも関係証拠上明らかであつて、本件事故が被告人の右の注意義務の懈怠に基因するものであることは否定できないから、被告人に対し業務上過失傷害罪の成立を肯認せる原判決には法令適用の誤りは認められず、その他本件記録を精査し、当審における事実取調の結果を参酌しても、原判決には所論の如き誤りは見出せないので論旨は理由がない。

右控訴趣意第二点(事実誤認)について。

所論は要するに、被害者渡辺秀樹は本件事故当時一三歳の中学生であつて、これを一一歳と認定せる原判決は誤認である。その結果、原判決は被害者の年齢を一一歳つまり小学校五年生にすぎないものとして、被告人に対し厳しい注意義務を課してその過失を肯認し、被害者には落度がなかつたものと判断した上、被告人の刑を量定したものであるから、本件において被害者の年齢に関する右誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。従つて、原判決は破棄を免れないというのである。

よつて検討するに、原判決の罪となるべき事実の指示中に「渡辺秀樹(当時一一歳)」なる記載が存することは所論指摘のとおりであるが、右は単なる誤記にすぎないものと認められる。このことは原判決がその情状の事由として「将来のある中学生に全治不能の重傷を負わせた」旨説示していることによつても明らかである。

してみれば、所論は前提を欠くものである。のみならず、本件において被害者渡辺秀樹の年齢が一一歳であるか一三歳であるの点は明らかに判決に影響を及ぼすべき事実とは認められないので、いずれにせよ論旨は理由がない。

右控訴趣意第三点(量刑不当)について。

よつて所論にかんがみ、本件記録及び原審取調の証拠に現われる犯情をみるに、

本件事故は、原判示の如く車長一一メートルを超える大型貨物自動車を運転する被告人が、交差点を左折進行するに際して必要な注意義務を怠り、その結果惹起された横断歩道で、自転車に乗つた少年をまき込んだ事故であつて、被告人の過失は相当に大きいものであること、その結果も重大であつて、中学生の右少年に対し全治不能の重傷を負わせたものであり、被害者のこれからの人生における苦難な運命はもとより、その両親の悲歎と今後の労苦も計り知れないものであること、被告人はこれまでにも業務上過失傷害罪により禁錮刑(一回、執行猶予付)及び罰金刑(二回)の処罰を受けているものであり、これらの前科がいずれも歩行者を被害者とする交通事故であること等を併せ考えると、被告人の自動車運転者としての基本的な態度に欠陥があつたものと認めざるをえないこと等にかんがみる限りでは、原判決の被告人に対する科刑は必ずしも首肯できないものではない。

しかしながら他面、当審における事実取調の結果を加えて検討するに、

被害者渡辺秀樹は青色信号に従つて横断していたものではあるが、不安定な自転車に乗つたまま横断歩道を進行した点等において全く落度がなかつたとはいえないこと、現在では同人の症状も漸く固定し、義足及び松葉杖を使用しながらも中学校に通い勉学に励んでいる状態であること、被告人を雇用する九州西武運輸株式会社においてはこれまでに約一年半に亘る被害者の入院治療費等をその都度支払済であり、その後遺障害の確定を待つて示談交渉を行う予定であつて、同社の損害賠償能力に懸念はないこと、その他所論の被告人に利益な事情を参酌するときは、原判決の被告人に対する科刑は少くとも現在では重きに失し相当でない。論旨は理由がある。

そこで、刑事訴訟法三九七条、三八一条に則り原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い更に判決する。

原判決の認定せる事実(但し、原判決に「渡辺秀樹(当時一一歳)」とあるのは誤記であるから「渡辺秀樹(当時一三歳)」と訂正する。)に法律を適用する、被告人の原判示所為は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので所定刑中禁錮刑を選択することとし、その刑期の範囲内で被告人を禁錮六月に処し、原審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文に従い被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 平田勝雅 川崎貞夫 堀内信明)

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